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    舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより 令和3年11月号

    • [2021年11月5日]
    • ID:9165

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    舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより 令和3年11月号

    郷土資料館だより 11月号 PDF版

    舞鶴鎮守府開庁120年関連企画 「近代舞鶴の礎を築いた伊藤雋吉(いとう としよし)」

    10月1日は、明治34年(1901)に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁して120周年にあたります。この鎮守府開庁に大きな役割を担ったのが伊藤雋吉です。伊藤雋吉は舞鶴市手代町(現宮津口)出身の下級武士ですが、明治維新後新政府に出仕して、海軍創設に関わりました。舞鶴鎮守府建設時には海軍次官として樺山・仁禮・西郷の三大臣に仕えました。今月の城下町コーナーは伊藤雋吉ゆかりの品を展示いたします。

    写真

    伊藤雋吉肖像写真

    男爵の額

    明治天皇の御璽が捺された男爵授与状

    今月の一品

    今月の一品は大砲に鋳付けられた野田笛浦(のだてきほ)の文字型(國松家文書)です。

    この「敵(てき)」「愾(がい)」の字は、田辺藩の家老をつとめ海防と学問所の改革に力を注いだ野田笛浦が書いたものです。戦前の明倫小学校に据えられていた大砲には大きいものに「震(しん)為(い)雷(らい)」、小さいのもに「敵愾」の字が鋳付けられていました。大砲を製造した國松家にはこの「敵」「愾」の文字型がのこされていました。「敵愾」とは敵を打ち負かそうとする気概、「震為雷」は大地を震わすような雷を意味します。この大砲は、幕末に田辺藩が御台場に築造したもので、ちょうど江戸の遊学から帰藩していた伊藤雋吉が築造の陣頭指揮をとり、試射では、上官では飛ばなかったものを伊藤雋吉は見事に成功したという逸話が残されています。

    大砲に鋳つけられた「敵愾」の文字型

    糸井文庫コーナー

    今月の糸井文庫コーナーは、明治の浮世絵その2です。

    雪深い吉野山で別れる義経(左)と静(中)を描いた浮世絵
    絵師:月岡芳年 出版年:明治19年(1886)

    サロンスペース

    サロンスペースでは、昭和12年から19年までの舞鶴市近辺の戦没者の新聞記事を切り抜いて軸に仕立てたものを展示しています。製作者の布川もと氏によれば、送り出した兵隊さんが戦没する事に心を痛め、慰霊のために始めたそうです。なんと11本もの大きな軸になりましたが。昭和20年には戦死者があまりに多く断念したそうです。今回はこのうち、12年、14年頃、19年の3本を展示しています。

    軸物

    戦没者の新聞記事を貼り合わせて軸に仕立てられている



    お問い合わせ先

    舞鶴ふるさと発見館(舞鶴市郷土資料館)

    電話0773-75-8836 FAX0773-77-1314

    受付時間 9:00~16:30

    住所 舞鶴市字南田辺1番地

    (舞鶴西総合会館1階北側)

    展示室入館料 一般100円、市外学生50円

    サロンスペースは無料です

    11月の休館日は、 1日(月)、4日(木)、8日(月)

    、15日(月)、22日(月)、24日(水)、29日(月)

           

    位置図

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    電話:0773-62-2300(代表)

    法人番号:4000020262021

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    電話:0773-66-1041

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