
大俣地区や別所地区、寺田地区などにあった鉱山では銀・銅・鉄などが、吉坂地区や志高地区などにある炭鉱跡では石炭が、それぞれ採鉱されていました。

吉坂の炭鉱跡
- 吉坂地区の炭鉱は昭和20年代まで採鉱されていました。
- 今でも坑口には黒光りの軽い石炭(無煙炭)があります。 また、泥混じりの重い石炭もあり、それを割ると、シダやイチョウなど植物の化石を見つけられることがあります。
- 日本の石炭の多くは新生代 (約5,000年前)にできましたが、舞鶴の石炭(舞鶴炭田)は中生代(約2億3千年以上前)にできたものです。日本で最も古い石炭層の一つと言われています。

大俣の鉱山跡
- 大俣地区の鉱山は大正時代末期に一度閉山されました。その後、 昭和35年頃に採鉱が再開されましたが、すぐにまた閉山されました。
- 鉱山跡には坑口が残っています。強い酸性の水が今も流れて出ています。
- 採鉱された鉱石は、地頭地区から宮津市由良地区まで船で運ばれた後、四国まで船で運ばれていたと言われています。