あしあと
ウズベキスタン共和国フェルガナ州リシタン地区との姉妹都市提携記念事業として、6月20日(土)から企画展を開催いたします。
抑留という過酷な環境下でも失われなかった日本人の誇りと誠実な姿は、ウズベキスタンの現地の人々によって語り継がれ、日本人抑留者資料館のジャリル・スルタノフ館長の舞鶴への訪問(平成28年)をきっかけとして、国境を越えた交流へと繋がりました。
企画展では、ウズベキスタン抑留に関する貴重な実物資料や、抑留から交流、そして姉妹都市提携に至るまでの歩みをご紹介します。
皆さまのお越しを心よりお待ちしております。
◆名称:「ウズベキスタンと舞鶴」〜抑留から交流へ、深まる絆〜
◆期間:令和8年6月20日(土)〜10月25日(日)
休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)
◆時間:午前9時〜午後5時(最終入館は午後4時30分)
◆場所:舞鶴引揚記念館 企画絵画展示室
◆料金:無料(別途、入館料が必要)
◆資料点数 約30点
◆抑留の歴史
・現地の労働仲間から贈られた煙草ケース
・火打石
・手作りのスプーン、櫛
・抑留中の衣類
・手記 など
◆交流の歩み
・平成28(2016)年ウズベキスタンの日本人抑留者資料館長 ジャリル・スルタノフ氏の舞鶴訪問からリシタン地区との姉妹都市締結までの交流の歩みをパネル等で紹介。
◆映像コーナー
・ジャリル・スルタノフ館長制作の抑留に関する映像やウズベキスタンの紹介など
◆交流体験
・交流の機会に贈られたウズベキスタンの民族衣装の着用体験ができるコーナー
★煙草ケース
ウズベキスタンのナボイ劇場の建設で共に働いたウズベキスタン人の電気工事技師「リョニヤン」から帰国する際にもらったもの。図案はリョニヤンが考え制作。表面には花の装飾が施され、裏面には「T.オオツカ」と名前が刻まれている。
★手記
陸軍時代からウズベキスタンで抑留され、ナボイ劇場の建設に従事し、舞鶴港への帰還までを記した日記帳風のノート。抑留時の移動履歴のほか、舞鶴港へ到着した際の舞鶴の人々の歓迎ぶりが記されている。
大塚 武(おおつか たけし)氏
【略歴】
大正15年(1926) 2月10日 東京都豊島区生まれ
昭和19年(1944) 4月20日 中部第130部隊に志願して入隊
昭和20年(1945)12月13日 ウズベキスタンに連行される
タシケントの第4ラーゲル収容中にナボイ劇場の建設に携わる。
同劇場の落成式にも出席し、バレエを鑑賞。
昭和23年(1948) 7月12日 恵山丸で舞鶴に帰還
平成27年(2015) 6月15日 逝去 89歳
★ご家族からのメッセージ
大塚 啓子 氏(長女)より
父親の抑留体験について、自分からじっくりと聞いたことはありませんが、亡くなる前に一緒にウズベキスタンを旅したことが思い出に残っています。ウズベキスタン人との労働は、上下関係ではなく、一緒に働く仲間という感覚だったようです。
ナボイ劇場では電気関係の仕事をしていて、ある日感電をして意識をなくしたときに現地の女医さんが丁寧な治療をしてくれたおかげで、命拾いをしたという話を聞いたこともあります。
抑留や戦争のことを語れる人が本当に少なくなってきています。伝えないと記憶も消えてしまいます。今後二度と戦争による悲しい出来事が起こらないためにも、伝えることの大切さを実感しています。
父の資料を通じて、ウズベキスタンの様子や交流もあったことなどを知ってもらえる機会になればと思います。
また、日記にもあるように、舞鶴の温かいお迎えは心に残ったようです。13年間も続けられたことも本当にすごいことです。
企画展を通じて、歴史や当時の人の想いを若い世代にも繋げていってもらえるよう願っています。
「ウズベキスタンと舞鶴」チラシ

舞鶴市役所生涯学習部舞鶴引揚記念館
電話: 0773-68-0836
ファックス: 0773-68-0370
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