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あしあと

    舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより12月号

    • [2021年12月13日]
    • ID:9294

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    舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより 令和3年12月号

    舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより 12月号

    郷土資料館だより 12月号 PDF版

    サロンスペース展示

    鳥瞰図画家 吉田初三郎が描いた舞鶴

    吉田初三郎「舞鶴図絵」

    サロンスペースでは『舞鶴図絵』の拡大写真を展示します。『舞鶴図絵』は鳥瞰図画家で有名な吉田初三郎が描き、大正13年(1924)に刊行されたものです。舞鶴は明治34年(1901)に開庁した海軍鎮守府が大正12年に要港部に格下げとなり、舞鶴の人々は軍港だけに頼るのではなく、商港としても発展しようと画策していました。この絵図には、舞鶴・中舞鶴・新舞鶴の各港や市街地だけでなく、遠く北海道・樺太・浦塩(ウラジオストック)まで描かれています。時代の雰囲気がよく伝わる一枚です。是非間近に御覧下さい。

    今月の一品

    「丹後国加佐郡元余部下村」の絵図

    明治時代の余部下村絵図

      余部下村(現舞鶴市字余部下)は明治19年(1886)海軍条例により、日本海側に第四鎮守府を設置することが決まると、その候補地として伊藤博文など要人が視察に訪れ、更に鎮守府用地に決定してからは、土地の買収、家屋の移転などにおわれました。これは明治14年に新築移転した余部小学校(現中舞鶴小学校)が現郵便局付近にあることや22年に現在地に移転した雲門寺がまだ菖蒲が丘にあることから明治14年~22年の鎮守府用地決定頃の絵図だと考えられます。


    城下町コーナー

    「近代舞鶴の礎を築いた伊藤雋吉」 海軍鎮守府開庁120年記念企画

    写真

    伊藤雋吉の肖像写真

    10月1日は、明治34年(1901)に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁して120周年にあたります。この鎮守府開庁に大きな役割を担ったのが伊藤雋吉です。伊藤雋吉は舞鶴市手代町(現宮津口)出身の下級武士ですが、明治維新後新政府に出仕して、海軍創設に関わりました。舞鶴鎮守府建設時には海軍次官として樺山・仁禮・西郷の三大臣に仕えました。今月の城下町コーナーは伊藤雋吉ゆかりの品を展示いたします。展示室では鎮守府開庁120年を記念して、鎮守府設置に尽力した伊藤雋吉の展示をしています。

    今月の糸井文庫コーナー

    浮世絵

    今月は「乙姫との別れ-玉手箱を託す-」です。浦島太郎の浮世絵から選んでいます。2021年もいよいよ年の瀬を迎えています。みなさんは2022年に何を託しますか?

    ご協力をお願いします

    新型コロナウイルス感染予防対策として消毒・マスク着用・ソーシャルディスタンスにご協力ください。また、体温計測、来館者名簿への記名をお願いしています。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。

    郷土資料館位置図

    お問い合わせは

    舞鶴ふるさと発見館(舞鶴市郷土資料館)

    (受付時間9:00~16:30)

    TEL:0773-75-8836

    FAX:0773-77-1314

    住所:舞鶴市字南田辺1番地

    (ゆうさい会館(西総合会館)1F北側)

    展示室入場料:大人100円、市外学生50円

    サロンスペース:無料

    休館日:12月6(月)・13(月)・20(月)・

    27(月)・29(水)~1月3(月)


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    〒625-8555 京都府舞鶴市字北吸1044番地

    電話:0773-62-2300(代表)

    法人番号:4000020262021

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    舞鶴市役所 政策推進部 広報広聴課

    電話:0773-66-1041

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