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郷土資料館だより 12月号 PDF版
鳥瞰図画家 吉田初三郎が描いた舞鶴
サロンスペースでは『舞鶴図絵』の拡大写真を展示します。『舞鶴図絵』は鳥瞰図画家で有名な吉田初三郎が描き、大正13年(1924)に刊行されたものです。舞鶴は明治34年(1901)に開庁した海軍鎮守府が大正12年に要港部に格下げとなり、舞鶴の人々は軍港だけに頼るのではなく、商港としても発展しようと画策していました。この絵図には、舞鶴・中舞鶴・新舞鶴の各港や市街地だけでなく、遠く北海道・樺太・浦塩(ウラジオストック)まで描かれています。時代の雰囲気がよく伝わる一枚です。是非間近に御覧下さい。
「丹後国加佐郡元余部下村」の絵図
余部下村(現舞鶴市字余部下)は明治19年(1886)海軍条例により、日本海側に第四鎮守府を設置することが決まると、その候補地として伊藤博文など要人が視察に訪れ、更に鎮守府用地に決定してからは、土地の買収、家屋の移転などにおわれました。これは明治14年に新築移転した余部小学校(現中舞鶴小学校)が現郵便局付近にあることや22年に現在地に移転した雲門寺がまだ菖蒲が丘にあることから明治14年~22年の鎮守府用地決定頃の絵図だと考えられます。
「近代舞鶴の礎を築いた伊藤雋吉」 海軍鎮守府開庁120年記念企画
伊藤雋吉の肖像写真
10月1日は、明治34年(1901)に旧海軍舞鶴鎮守府が開庁して120周年にあたります。この鎮守府開庁に大きな役割を担ったのが伊藤雋吉です。伊藤雋吉は舞鶴市手代町(現宮津口)出身の下級武士ですが、明治維新後新政府に出仕して、海軍創設に関わりました。舞鶴鎮守府建設時には海軍次官として樺山・仁禮・西郷の三大臣に仕えました。今月の城下町コーナーは伊藤雋吉ゆかりの品を展示いたします。展示室では鎮守府開庁120年を記念して、鎮守府設置に尽力した伊藤雋吉の展示をしています。
今月は「乙姫との別れ-玉手箱を託す-」です。浦島太郎の浮世絵から選んでいます。2021年もいよいよ年の瀬を迎えています。みなさんは2022年に何を託しますか?
新型コロナウイルス感染予防対策として消毒・マスク着用・ソーシャルディスタンスにご協力ください。また、体温計測、来館者名簿への記名をお願いしています。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
お問い合わせは
舞鶴ふるさと発見館(舞鶴市郷土資料館)
(受付時間9:00~16:30)
FAX:0773-77-1314
住所:舞鶴市字南田辺1番地
(ゆうさい会館(西総合会館)1F北側)
展示室入場料:大人100円、市外学生50円
サロンスペース:無料
休館日:12月6(月)・13(月)・20(月)・
27(月)・29(水)~1月3(月)
舞鶴市役所生涯学習部文化振興課
電話: 0773-66-1019
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