あしあと
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郷土資料館だより 令和4年1月号 PDF版
昨年度、京都府内最古となる3万年前の遺跡が発掘されました。現生人類が生まれた5~4万年前から縄文土器を使い始めた1万6千年前を後期旧石器時代といいます。場所は京丹後市丹後町上野遺跡と、福知山市夜久野町稚児野遺跡です。舞鶴の近所で3万6千年前の遺跡がみつかったのです。サロンスペースではこれを記念して、森下一夫氏寄贈の縄文復元標本を展示いたします。森下氏は旧石器へのロマンから舞鶴市最古の約1万年前の有舌尖頭器を女布遺跡で採集されています。縄文復元標本は発掘データから縄文人の生活を目に見える形にしてくれます。精巧につくられた標本を御覧下さい。
復元された縄文人の上着
動物や魚を獲ったり、根菜類を掘る道具
鹿の角で製作した釣針
「ふるさと発見館で初詣」と題して、浮世絵や摺物(すりもの)で寺社をめぐります。浮世絵は江戸時代に歌舞伎のおみやげとして大流行しましたが、風景画や寺社の参詣を記念した摺物(木版画)としても人気を博しました。左は天橋立・宮島・松島の日本三景を描いた物です。天橋立では成相寺や智恩寺・籠(この)神社、安芸(広島県)の宮島ではの厳島(いつくしま)神社、陸奥(宮城県)松島では瑞巌寺や鹽竈(しおがま)神社に初詣に参りましょう。
日本三景を紹介する浮世絵
令和4(2022)年は田辺藩立藩400年となります。湿地帯だった西地区に細川幽斎が城を築き、城下町ができましたが、慶長5(1600)年田辺籠城戦が戦われたために、その城下町も焼け野原となりました。その後に入部してきたのが、京極高知でした。京極高知は細川家の後を継いで丹後国全体を治めましたが、その後を3人の子に託しました。元和8(1622)年嫡男高広が宮津藩を、庶子である高三が田辺藩を、養子の高通が峰山藩を興し、ここに丹後国は三藩に分かれることになりました。田辺の城下町は京極家により再建され、寛文8(1668)年に次の牧野家に渡されました。展示の古文書は京極家から牧野家に引き継がれた年貢などのまとめで、寛文7年に書かれたものを享和元(1801)年に写したものです。江戸時代初期の様子を知らせる貴重な資料です。
寛文八年加佐郡在々年貢次物帳
城下町コーナーは籠城図や京極家の絵図を舞鶴市史編さん室が臨写した絵図、牧野家絵図や『朝代祭礼絵巻』を展示します。江戸時代に田辺と呼ばれた城下町の様子を御覧下さい。
京極期の「丹後田邊之城図(写)」
お問い合わせは
舞鶴ふるさと発見館(舞鶴市郷土資料館)
(受付時間9:00~16:30)
FAX:0773-77-1314
住所:舞鶴市字南田辺1番地
(ゆうさい会館(西総合会館)1F北側)
展示室入場料:大人100円、市外学生50円
サロンスペース:無料
休館日:1(土)~3(月)、11(火)・12(水)・
17(月)・24(月)・31(月)
舞鶴市役所生涯学習部文化振興課
電話: 0773-66-1019
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